私にとって、メガネっ子はフェルミオンである。

おそらく中学位からメガネっ子が好きでした。
「子」と言っていますが、おねえさま、おばさま、おばあさま、含みます。
ところで、私の妻はメガネをかけていません。
妻より前に付き合ったりした女性にもメガネっ子はいません。
何故だろう、と思っていました。

私は人の顔が覚えれません。
人の顔に限らず、記憶の三重苦(覚えれない、憶えていられない、思い出せない)なのですが。
そもそも特徴を捉えて分ける事が出来ないのかと思います。

子供の小さい頃、幼稚園や保育園への送り迎えは、メガネっ子のお母様方も多く楽しみでした。
一番下の息子は、なかなか中に入ろうとせず、園の外で、諦めて入るのを待つ事がたびたびありました。
その中で、あれ?このメガネっ子、さっき帰らなかったけ?さっき来なかったけ?と思うことが多いのです。
そう、何人かの人たちを個々の人として認識していないようなのです。
ああ、電子のようだ、と。

速い速度の電子が左から、遅い電子が右から飛んできて、衝突したとします。
電子が古典力学的な粒子ならば、左からの電子は左に遅い速度で跳ね返り、右からの電子は早くなって右に跳ね返ります。
現代物理学では、電子は波でもある。
波ならば、左から来た早い電子は、早いまま右に抜けて行き、右から来た遅い電子は、遅いまま左に抜けていきます。
いずれにせよ、衝突後、右に行くのは早い電子、左に行くのは遅い電子。
衝突前に左にいたのが、左に跳ね返ったのか、右にすり抜けたのか、わからないのです。
箱の中を自由に2つのボールが動き回っていた場合、箱の右側にボールが2つともある場合、2つとも左側にある場合は、各々確率1/4、 1つずつになるのは1/2です。
電子で同じような状況を測定すると、先述の識別不能性もあり、各々1/3になるのだそうです。
こういう性質を示す粒子をフェルミ統計に従う粒子、フェルミオンといいます。

ああ、電子、というものが好き、という感じだったのか、妻が好きとは違う好きだったのか、と何故に対する答えを得たのです。