岩井圭也氏の「永遠についての証明」、聴き終えました。

とても切なく、天才の孤独を見ました。

ところで、この中の架空の数学理論、詳しくはわからなかったが、

高校から大学にかけて私の欲しかった理論かも、とも思ったのです。

フラクタルは部分と全体とが相似、その辺が絡んでいるようなので。

全体と部分とのスケール(単位)の関係を表現できたりするものだろうかと。

私は、ビッグバン(宇宙は膨張している)を知る前に、別の宇宙論(宇宙は不変、もしくは、我々(粒子とかも)が収縮している)を知りました。

双方を知ると相対性を意識します。

宇宙(全体)と我々(部分)とで、スケールが異なっていると考えればいい、

そう考えて、宇宙論を記述したい、でも、表現の仕方がよくわからない。

そこから、宇宙論から徐々に離れていった感じがあります。

そんな事を考えていたら、

あれ、そもそも、私は時空の存在を信じなくなっている、事に気付きました。

カルロ・ロヴェッリ氏の著作に触れて、

時間の流れは存在しない、事象間の関係があるだけ、と考えるようになったせいでしょう。

容れ物としての、宇宙や時空なんて、要らない、と思っているようなのです。